2018年に公開された「劇場版名探偵コナン ゼロの執行人」は、なかなかの傑作だったと思う。劇場には二度観に行った。個人的な好みで言うと、コナン映画のランキング上位は、
- 純黒の悪夢
- ゼロの執行人
- 異次元の狙撃手
- 水平線上の陰謀
- 14番目の標的
てな具合で「ゼロの執行人」はかなり高評価。ところで組織篇が好きな私のランキングで「天国へのカウントダウン」や「漆黒の追跡者」が入ってないのは、たぶん赤井秀一がいないからだろうなあと自己分析。
さて高評価の本作で気になるところを二つだけ上げておく。
その1 メインテーマが抑制気味
高らかなメインテーマにのせた人外アクションを劇場版の醍醐味としている自分にとって、本作のメインテーマは抑制的で盛り上がりに欠けた気がする。が、これはワンパターンを避ける意味で必要だったのかもしれぬ。
その2 降谷零をフィーチャーするのは潜入捜査官としての立場を悪くしないか?
どちらかというと気になるのはこちら。「組織」からするとバーボンはどこで何をやってるのかよくわからない存在ということになっている。もっともこれは安室透がポアロに居つく前の話で、現在はそのことくらいは伝わっているかもしれない。が、組織がバーボンの正体が公安の降谷零だとは気がついてはいない。気がついたら、そのときはバーボン=安室透=降谷零は生きてはいない。
で、組織に潜入した公安の捜査官というのが普段何をやっているのかということには全く知識がない。「相棒」などから得た知識だと、潜入したら、その組織に溶け込むもののようである。バーボンはどこで何をやってるのかよくわからない存在なので、組織の事務所に入り浸ったり、ジンやウォッカと行動をともにする必要はなさそうだが、潜入捜査中に、公安しての仕事をやってはダメじゃないかと思うのだが、どうなのだろうか?
本作では、安室透ではなく降谷零として公安の仕事をしている。表立って行動できないから裏から風見らに指示を出す、というのなら問題ないが、スーツを着て事件現場にいて、ニュースに写り、それを灰原に見つけられている。灰原が見つけられるようなものを「組織」が見逃すだろうか? 「組織」のこれまでの行動からすると「組織」の何者かがあのニュースを見かけ、なぜそこにバーボンがいるかと不審に思い「もしやNOC?」と調べていても不思議はない。
劇場版はある意味「お祭り」なので、少しくらいの矛盾には目をつぶってもよいだろう。なので、本作に関してはそれでよい。ただ、安室透が人気があるからと、また劇場版で安室透の公安の降谷零としての活躍をフィーチャーするようだと、その矛盾が気になって「面白くなかった」という評価になるかもしれない。
実は「ゼロの日常」というスピンオフコミックが出ると知った時、上記の理由から「それはやめたほうがいいのに」と思ったのだ。が、サンプル版を読んでみると降谷零ではなく、あくまでもポアロでバイトしている安室透の日常を描いているようだったので心配は杞憂だったようだ。
また組織篇が終結に向かっているのだとしたら、来年は赤井秀一フィーチャー回ということもあり、次に安室透フィーチャー回が来るときには組織は壊滅しているかもしれない、と期待している。